不登校問題については様々な立場の方が意見を発信されています。
本記事では私なりの「学校に行く目的」を書いていこうと思います。
社会に出るための準備
「学校に行く目的」の本質は
社会に出るための準備だと考えます。
もう少し詳しく表現するなら
「自らが少しでも生きやすくなるためのスキルの獲得」
です。
読み・書き・計算といった学習面でのスキル
伝える・聞く・折り合いをつけるといったコミュニケーション面でのスキル
目的までの道筋を考える・我慢する・ルールを理解するといった自律のためのスキル
これらをより効率的に身につけるために「学校」という場が存在するのだと考えます。
ですので、これらを身につけられるのであれば学校以外でもいいわけです。
スマートフォン等デジタル機器の普及によって
・漢字が書けなくても問題ない
・割合の計算ができなくても問題ない
というような状況が生まれることもあります。
子どもにとって必要な力とは何かを考ると
それは「その子その子で違ってくる」ということが言えるのではないでしょうか。
目的を理解することの大切さ
「学校に行く目的」を子どもも親も理解することが重要です。
というような漠然とした社会の中での「普通」に基準を合わせると
生きづらさが大きく出てしまう可能性があります。
日中は親が不在になるので学校には行ってほしい
というようなご家庭もあるだろうと思います。
こうした課題に関しては社会的な居場所の整備が急務だろうと考えます。
とはいっても小学校低学年から「目的」を理解できるかというと難しいことが多いだろうと思います。
小学校低学年は「楽しい」が第一
小学校に入りたての子どもの大半は「なんのために学校に行くのか」ということについては考えていません。
その時期の子どもにとって必要なことは
「学校は楽しい場所だ」と実感できることです。
「楽しい場所だから行く」という状況を作るという前提がとても大事だと思います。
「自分の人生にとって必要だから学校に行きます」
と考えている小学1年生は中々いないのではないでしょうか。
「楽しい」ということを前提にしながらも
全ての子どもがそう思えるかというと、現在の一斉授業の形では難しさがあるので
好きな友達がいる
好きな先生がいる
というようにまずはその子が「信頼できる人」と繋がれることがとても重要です。
目的がより明確化してくる
「なんのために学校に行くのか」
という目的は、中学生〜高校生と進むにつれてより明確になっていきます。
こうして自ら目的を持つことができると、学校への登校に意味が生まれてきます。
逆を言うならば、こうした目的を持てないもしくは「学校なんて行っても何の得にもならない」と感じた場合
その子にとって学校に行くこと自体が苦痛になる可能性が高くなります。
まとめ
少子化の社会の中で、不登校問題はかなり深刻です。
子どもたちの
・学びの場
・家族以外の他者との関わりの場
・家庭以外での社会生活の場
これらは等しく提供されるべきです。
しかし、現在の社会において「学校」以外の選択肢が少ないのが現状です。
・フリースクールや私立学校はお金がかかる
・不登校になったが学校からの情報提供が得られない など
改めて「義務教育のあり方」というものを社会全体で議論する必要があるだろうと思います。
社会に出るための準備の場所として
・全員が丁寧に漢字が書ける
・全員が三角錐の体積問題を解ける
・全員が漢文のレ点の意味を理解できる
というような「足並みを揃える」感覚でなく
その子にとって必要な力
その子が身につけたい力
というような「その子なりに進む」感覚での学校作りが必要だろうと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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